アドリアノープルの戦い

ローマ帝国の市民たちは衝撃を受けた。皇帝が北方から侵入してきた蛮族との戦いで戦死したという知らせを聞いたからである。それは一大事件であった。帝国はこれまでにも数々の危機を経験してきたが、その都度乗り越えてきた。これまで多くの外国軍や異民族が帝国を侵略してきたが、最終的な勝利は常にローマ帝国のものであった。しかし、今回ばかりは違った。この敗北は、まさにローマ帝国滅亡の前奏曲ともいえる事件であった。

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1. 背景

西暦376年ごろ、東方から侵入してきたフン族を避けるために、西ゴート族が東ローマ皇帝ウァレンスにローマ帝国への移住を求めた。ウァレンス皇帝はこれを承認し、トラキア（現在のブルガリア）への移住を許可し、総督に支援を命じた。当時のローマ帝国は軍事力の面で困難な状況にあり、ウァレンス皇帝は西ゴート族を帝国内に取り込むことで、人口の増加と軍事力の強化を図ろうとした。そのため、西ゴート族はローマの忠実な同盟者になる可能性もあった。

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2. 西ゴート族の反乱

しかし、トラキア総督はドナウ川を越えてきた西ゴート族を虐待し、過重な税を課した。これに対し、西ゴート族はトラキア総督に面談を求めたが、総督は軍を使って彼らを解散させようとし、結局敗北してしまった。そこでウァレンス皇帝は西ローマ皇帝グラティアヌスに援軍を要請し、これを鎮圧しようとしたが、2年間にわたり勝敗が決しない状況が続いた。

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3. 皇帝の親征

そして378年の春、ウァレンス皇帝はついに軍を率いてバルカン半島へ向かった。グラティアヌスが送った援軍の司令官リコメレスは、ウァレンス皇帝に援軍が到着するまで待つよう忠告したが、皇帝は部下のセバスティアヌス将軍の意見を聞き入れ、西ゴート族との即時交戦を決定した。戦いはアドリアノープルから約8マイル北西の丘陵地帯で展開された。ローマ軍は総勢6万人の兵力を擁し、主力は重装歩兵4万人と軽騎兵2万人であった。ウァレンス皇帝は中央に重装歩兵を、左右の翼に騎兵を配置した。

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4. 皇帝の戦死

一方、西ゴート族は当時騎兵を欠いていた。ローマ軍がこれほど早く進軍してくるとは予想しておらず、騎兵を略奪に出していたからである。西ゴート族は丘の上に四輪馬車を円形に配置して対抗した。ローマ軍は丘の南側から西ゴート族を圧迫していった。戦闘の序盤は西ゴート族に不利に進んだが、彼らは簡単には崩れなかった。ローマ軍が西ゴート族を包囲する過程で陣形が崩れた時、ローマ軍の右翼側に突然西ゴート族の重装騎兵が現れた。そして彼らはローマ軍右翼の騎兵に突撃し、突然の攻撃を受けたローマ軍右翼の騎兵は敗走した。その後、西ゴート族の重装騎兵はローマ軍左翼の騎兵にも襲いかかった。同様に左翼の騎兵も敗走した。これによりローマ軍重装歩兵の左右の側面が露出し、それまで守勢に立っていた西ゴート族の軽装歩兵が攻勢に転じた。このようにして包囲していたローマ軍が逆に包囲される事態となった。戦闘はその時点で決着がつき、この戦いでウァレンス皇帝と多数のローマ軍が戦死するに至った。

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5. 戦闘の結果

アドリアノープルの戦いそのものは、優れた戦略や戦術によるものではなかった。ウァレンス皇帝の経験不足と慢心、そして西ゴート族騎兵の突然の登場が戦いを決定づけた。もしウァレンス皇帝がリコメレスの忠告を受け入れていれば、ローマ軍は両側から西ゴート族を挟撃し、勝利を収めたかもしれない。結局、この戦い以降、ローマは北方蛮族に対する軍事的優位を失った。アドリアノープルの戦いの結果、西ゴート族はローマ帝国内で自治権を得ただけでなく、無視できない勢力となり、ゲルマン民族の本格的な移住が始まった。この時までローマ帝国の軍事力に押されて国境を越えられなかった多くのゲルマン民族が、アドリアノープルの戦いでローマが敗北すると、大挙して移住し始めた。そしてこのゲルマン民族の移住が、最終的に西ローマ帝国の滅亡を招いたのである。

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6. 中世の始まり

さらにアドリアノープルの戦いは戦術にも変化をもたらした。古代ギリシア以来、戦争の主役は重装歩兵であった。しかし、それが重装騎兵へと変わったのである。ローマ軍団は市民兵で構成されていたが、重装歩兵が姿を消すと、市民の地位も大きく低下し、農奴へと転落した。また、領主と諸侯が権力を分有する中世封建制度の芽が出ることとなった。結果として、アドリアノープルの戦いをきっかけに中世封建社会が幕を開けることになったのである。